2017年7月18日
生前大変お世話になった方の葬儀に参列しました。
知っている方でしたら、「一緒に楽器吹いていたんだね。」と、言って下さります。
でも私が「その方」と知り合ったのは仕事での場面が先で、音楽はその後です。
だから私にとってはお客様であり、仕事を教えてくれた人でもあります。
20年以上前、私は社会人なり立てで、会社で営業職をしていました。
理化学と言う業界で、実験で使う機器や器具、試薬を販売していました。
阿寒町を担当していた私はマリモを研究している学芸員の方の所によく訪問していました。
その学芸員から、「観光課で仕事があるから事務所に行って来るといいよ。」と、勧められました。
マリモの研究自体は教育委員会の予算ですが、マリモは阿寒町の観光資源なので、特に阿寒湖畔では大切にされています。
「その方」とは当時の阿寒町役場の阿寒湖畔支所で出会いました。
一人前とはとても言えない私の仕事ぶりでしたので、役場での仕事の仕方と、阿寒湖でのマリモの大切さをたくさん教えてくれました。
仕事の内容は、阿寒湖の島にあるマリモ展示観察センターの水槽をレイアウトする水草のバックヤード(飼育水槽)を作るという事でした。
学生時代に閉鎖型水槽の水ろ過(水を継ぎ足さず、排水もせず循環させて使い続ける)の研究をしていたので、私にとっては勉強したこと全てを注ぎ込める仕事でした。
学芸員と「その方」とを行ったり来たりして打ち合わせしながら、私が設計し、何とか受注し、無事に工事も終わりました。
普段は200円のビーカー、300円の塩酸を売る仕事でしたが、この仕事の売り上げは700万円。会社でも表彰されました。
管理を担当していた職員の方が退職したのを機に、使われなくなってしまったのが残念でしたが、入社2年目で、自分の専門知識を生かし、自分が思った通りの仕事が出来た幸運は「その方」のおかげだと今でも思っています。
当時私は中学時代の恩師が指揮を振る吹奏楽団でテューバを吹いていました。
そのコンサートが終わった後の打ち上げの席に「その方」がいらっしゃったのです。
「その方」はサックスを吹いていました。
吹奏楽に詳しい方ならお判りだと思いますが、合奏で座る位置はサックスが前でテューバが後ろです。
お互いの顔はほとんど確認出来ません。
加えて「その方」は昔は団員だったそうですが、その頃はサポートメンバーになっていて、当日のリハーサルくらいからしか合流しません。
打ち上げの席で挨拶しに行くと、
「あれ、なんで居るの?今一緒に吹いていたのかい?そう、教え子だったのかい。なんだもっと早く言ってくれたら良かったのに。」
私だって知っていればもっと早くに話していました。
バックヤードが完成した後の話です。
その後、この展示観察センターに気象観測装置を付けたり、阿寒国際ツルセンターが出来る時に関わったり、出来た後もお世話になったり、私が阿寒を担当している間、ずっとお世話になっていました。
私が会社を退職した後も、よくお会いしていましたが、体調を崩したと聞いてからは容体を心配するくらいしか出来ませんでした。
私の現在の仕事上、お通夜に参列する事は難しので、顔見知りと故人をしのぶことは出来ませんでした。
両親が健在な私は、生きる事に対して少し緩い所もあります。
「その方」には今の私の姿を見てもらう事はついに出来ませんでしたが、恥ずかしくない仕事をしていこうと、心にけじめをつけて帰って来ました。