月見和史自己紹介3(幼少時阿寒)

3歳から4年間、阿寒の中徹別に住みました。

この時代については別なテーマで何度もお話しします。

この頃はとにかく楽しかったです。

山が在り川が在り夏は暑く冬は寒い。

周りの山では夏はクワガタ、秋はトンボを捕まえて遊んでいました。
川も傍にありましたが釣りや川遊びはしませんでした。

今は国道240号線沿いの木が全て切られたので、
クワガタは採りにくくなっているかもしれません。

庭の畑にはモンシロチョウやキアゲハが飛び、
裏の畑には秋になるとトウモロコシがたくさん実りました。

街灯などないので夜空は想像を絶する素晴らしさ。

その時住んでいた家には電話がありませんでした。
無くても生活出来た時代だったのですね。
そんなのんびりした日常が懐かしくなる時もあります。

都会型の今の生活と比べれば不便この上ありませんが「生きている」と、言う実感がありました。

ある日、その畑にタンチョウが降りて来ました。
まだ300羽程度しかいなかった時代ですから阿寒でもとても珍しい事でした。

中徹別小学校に入学し、2年生になるときに釧路へ引っ越し。

友達との別れも経験しました。

私の人生観もこの4年間で得たものです。

次回は釧路での小学校時代のお話をします。

月見和史自己紹介2

月見学道塾長つきみかずひとのブログ 自己紹介

 

昭和45年生まれというと、団塊の世代の子供なのでとにかく人数が多いのです。

ちなみに東京農業大学受験時は倍率22.8倍、

釧路湖陵高校は普通科1.4倍、理数科2.6倍です。

今では信じられない倍率ですよね。

私は塾にも予備校にもお世話になっていました。

学歴こそ釧路では名の通った学校を卒業していますが、高校時代は劣等生を経験しています。

授業が分からず置いて行かれていくうちに、どこが分からなくなったのかが分からなくなり、どれを勉強したらいいか分からなくなりました。

だから成績が悪い、点数が伸びない生徒の気持ちも良く判ります。
湖陵に進学したからと言って湖陵で優等生とは限りません。
湖陵で感じる劣等感は中学生のそのものと何ら変わりません。

自己紹介はまだまだ続きます。

 

月見和史自己紹介1

私、月見和史と書いて、「つきみかずひと」と読みます。

昭和45年11月13日生まれ。

釧路で生まれ、3歳から小学校1年生までは阿寒の中徹別で育ちました。

小学校2年生からは釧路市立日進小学校に通い卒業しました。

その2年生の時に開校100周年という記念の年を経験出来ました。 父も祖父も通った学校です。

現在は釧路小学校になっています。

釧路市立東中学校では古い趣のある校舎で入学し、 現在の幣舞中学校の校舎が完成する直前に卒業。

釧路湖陵高等学校 東京農業大学 を卒業し、17年間勤めていた会社を平成23年3月末で退職。

様々な縁が重なり、月見学道を開くことになりました。

 

一度の「文量」が多いと読みにくいと思いますので、同じタイトルの内容をシリーズ化してお話ししていきます。   今後ともよろしくお願いします。